ロボットアニメのリアリティを殺す無人機

2019.02.19

ロボットアニメにもいくつかのジャンルがありますが、人気のあるものの1つが戦争ものでしょう。鉄人28号やマジンガーZのようなヒーローとしてのロボットアニメばかりだった中で、戦争のための量産兵器としてのロボットを描いたガンダムは当時のアニメ界には衝撃だったようで、ガンダム自体も毎年のようにリメイク作が作られる人気コンテンツとなりましたし、ボトムズなどのように量産兵器としてのロボットを描くアニメ作品がその後続々と作られるようになり、ロボットも荒唐無稽な謎エネルギーで動くヒーローではなく、何らかの技術体系のもとに作られる現実的な装置になりました。リアルな世界観は視聴者を夢中にさせました。

戦争を舞台として描くロボットアニメにおいて、戦いによる死者が描かれることは必然です。初代の「機動戦士ガンダム」でも主人公アムロがが知り合った敵味方ともに多くが死んでいきますし、近作の「機動戦士ガンダム サンダーボルト」は今日の戦場の過酷さを見事に描き出して大きな反響を呼びました。ガンダム以外でも現在放映されている「エガオノダイカ」でも大切な人物がいきなり死に絶望するヒロインが描かれています。生死が関わる場面というのは人間にとっては極限状態ですから感情の動きを描くためにばベストな舞台ですが、この戦争もの描くにあたって困ったことが起こりつつあります。それは無人機の登場です。

戦闘機の性能が高まり続けた結果、非常に高いGをかけての高機動が可能となり人間が耐えられる限界のGをはるかに超えてしまいました。もし人間が乗らなければ現在の技術のすべてを使った高機動が可能となります。その為、結構以前から無人の戦闘機が将来的に登場するであろうと言われてきていて、ゲーム「Ace Combat」シリーズや「マクロスプラス」などにもこのイメージを反映した無人機が登場してきました。この点については分かりやすい説明が以下のブログにありましたのでこれを引用したいと思います。

MY GAME LIFE
https://mrbird.hatenablog.com/entry/2019/01/20/174014

—- ここから引用

我々人間が耐えうるGは(+9G〜-3G)である(対Gスーツを着用した場合)。ひとによっては筋肉と耐性である程度の誤差があるが、9Gを超過すると血流が下半身に溜まり脳に酸素が供給されなくなって気を失う、所謂「G-LOC」が発生する。逆に-3Gを下回ると上半身に血が溜まり眼球が充血して視界が真っ赤になる「レッドアウト」が発生する。

 この(+9G〜-3G)という制限は人間の構造上のものであって、決して機体の限界では無い。機体は人間よりも頑丈なのでこの制限を超えたとしても壊れることはまず無い。

 だから有人戦闘機よりも無人戦闘機はG制限が緩く、人間であれば失神する旋回・急降下・急上昇といった機動が可能なのだ。

—- ここまで引用

というわけで従来の作品に登場する無人機は頭は悪いけど動きは速いといったものでした。当時としては人間を超えた高度なコンピューターというのはあまり想定できなかったからですね。ところがそうした以前のイメージを覆す話が最近出始めています。

〝トップ・ガン〟がAIに惨敗 摸擬空戦で一方的に撃墜
https://www.sankei.com/west/news/160719/wst1607190007-n1.html

なんと人工知能が空戦で一流のパイロットに勝ってしまった。高機動なだけでも無人機の方が有利だと言われていたのに操縦技術まで無人機の方が高いとなってしまうともはや育成に高額の費用と時間が必要で、撃墜されたら人間が死んでしまう有人戦闘機を今後も運用し続ける理由がなくなってきてしまいます。実際に導入されるのは少し先になるかもしれませんが、米海軍長官がF-35が最後の有人戦闘機になるなんて講演していますので、そう遠くない将来実現してしまうのかもしれません。

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1504/17/news153.html

こうなってくるとリアルなSFとして未来世界における量産兵器としてロボットを描くのが厳しくなってきます。すべてのロボットに人間が乗っていて撃墜されるたびに人が死んでいくというのが戦争ものロボットアニメの重要な要素でした。ガンダムのように現代の技術では到底実現できないような強力な兵器を作り出せる未来で無人機が実現できていないと考えるのは無理があります。元々人形のロボット兵器というのが結構荒唐無稽であったことを半ば無視してこれまでやってきたわけですが、ここへ来てなぜ無人化していないのかという疑問が視聴者の場合に起こるようになってしまいます。不自然な世界観に違和感を覚えながらでは物語に没頭できませんし、ロボットアニメの魅力の一つであった筈のリアルな世界観が失われてしまいます。

この違和感を回避する手法がすでにいくつかのアニメでは上手に盛り込まれているように思います。例えば彗星のガルガンティアはすさまじく高度な人工知能を積んだロボット兵器に登場するパイロットの話ですし、人工知能が高度すぎて単独での戦闘も可能なのでまともな世界ならなぜ無人気にしないのか不思議に思うところです。ところが本作ではディストピア的な世界観で全ての人間が戦闘のためだけに生まれ育成されて戦い死んでいくという世界で、おそらく人権も何もなくてがっつり肉体改造もされてそうだと思うとすべての兵器に人間が乗っていてもあまり違和感がありません。

他にもコードギアスに登場するナイトメアフレームは市街地など複雑な環境での戦闘を考慮した兵器ですしそれほど高機動ができるようには見えません。また、貴族社会の騎士たちが搭乗する機体ですので多少不合理でも人間が乗って戦うことに意味を見出していそう、という意味でそれほど違和感を感じません。

こうして見ると無人機が頭にある視聴者に対して発信する工夫が既に盛り込まれはじめていて、さすが日本のアニメ界はすごいなと思います。

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