鬱パートは死んだ

2019.07.03

※本稿にはカレイドスター、メイドインアビス、シュタインズ・ゲートの内容に言及した部分があります。ネタバレが嫌な方は読む前に各作品を視聴するようにお願いします。

平成時代のアニメにはよく鬱パートがありました。

逆境が大きいほど乗り越えたときのカタルシスも大きくなります。だからシリアスな物語では必ず逆境が設定されます。この逆境を大きくしようとして、主人公を長い期間痛めつけるような演出が平成に入ってから急増しました。逆境最大化の為の試み、それが鬱パートです。

長い鬱パートが流行った理由はハッキリしませんが、1つ考えられるのはアニメ視聴層の年齢が上がった事でしょう。アニメ視聴者の年齢が広がった事で大人の視聴に耐える作品が増えていきました。EVANGELION (1995年: 平成7年) や無限のリヴァイアス (2000年: 平成12年) など、暗くて辛い作品のヒットが続きました。それに伴って萌えアニメやスポ根アニメなどでも鬱パートが入るようになってきます。確かに長い鬱パートの後で勝利すると大きなカタルシスが得られますので、ハリウッドの脚本メソッドでも逆境を入れるのは定番のやり方です。そんなわけで、気付けばあっちでもこっちでも鬱パートがあるのが当たり前になり、そして悲劇がやってきました。カレイドスター第3クールです。

カレイドスターの1~2クールは典型的なスポ根アニメで、ヒロインが努力と根性でステージのトップに上り詰め、遂にトップスターとの共演で伝説的なステージを成し遂げるという物語です。本当に素晴らしい作品で僕も何度も繰り返して視聴しています。ところが3クール目に入るとヒロインが理不尽にもステージを追われ、努力しても認められず、遂に手にした新技をライバルキャラにパクられた上にヒロインがその技をパクったと批難されるという、理不尽極まりない鬱パートに入ります。しかもなんとこの鬱パートが1クールまるごと続いてしまう。大好きなキャラが見る影なくボロボロになっていく展開は控えめに言って地獄でした。カレイドスターの1~2クールは最高に素晴らしいアニメなので、落差の激しさも大変なものでした。

そんなこんなで僕らアニヲタも疲れてしまいました。もう陰気で辛い話はたくさんです。そこで波風がまったく立たない日常系ブームがやってきます。ひだまりスケッチ (2007年: 平成19年)、らき☆すた (2007年: 平成19年)、けいおん (2009年: 平成21年) などの大ヒットから穏やかな日常を楽しく描く作品が急増しました。逆境とか鬱展開以前に話の波風自体がほとんどありません。素敵なキャラたちが楽しく過ごすのを穏やかに描くのがこれらの作品群の特徴で、延々とキュンキュンし続けたアニヲタたちはすっかり萌え豚と化してしまいました。結構セールスも良かったようですし、描きやすいこともあってか類似スタイルの作品が量産されました。この傾向によりみんなちょっと気付きました「鬱パート、もしかしてダメなんじゃないの?」って。

とはいえ、シリアスな話には逆境が必要です。だから主人公を痛めつける鬱パートではない、新しい逆境パートを導入する流れが来ました。おおきく分類すると「主人公が痛めつけられる期間は短くして逆境パートの短さを不穏さで補う」か「逆境シーン自体は長くても主人公が痛めつけられているという印象を与えないようにする」かで鬱パートなしに大きな逆境を用意するようになっていると思います。前者の不穏演出を用いた作品は「メイドインアビス」や「まどか☆マギカ」「けものフレンズ」、後者の作品は「シュタインズ・ゲート」「約束のネバーランド」が挙げられるでしょう。

前者の不穏演出で短い逆境シーンを補う代表例はメイドインアビスだと思います。メイドインアビスは奈落の大穴「アビス」の最下層を目指す少女と少年の探検物語ですが、序盤から繰り返してアビスがどれほど危険で恐ろしい場所なのか描かれて、終始不穏な雰囲気を演出します。いつ主人公たちが死んでもおかしくない事を視聴者にさんざん印象づけた上で、遂にヒロインは致命的な傷を受けます。ちょっと洒落にならない感じになって死んじゃうんじゃないかと心配していると救いの手が差し伸べられ…となるわけですが、なんと傷を受けてから助けがくるまですべて第10話の中でやってしまいます。短い!なんと同じ話数の間に助けが来ちゃいます。

序盤からの不穏さ演出のおかげでいきなりヒロインが死にかけても唐突さはありません。でもこの逆境が小さなものだとは全然思えません。何しろヒロインが見るからにヤバイ感じに死にかけてます。とうとう来るべきものが来てしまったと感じて、再び冒険を続けられる事への感動に繋がっていきます。これは序盤からずっと不穏な雰囲気を描き続けたことで初めて可能になっているんです。この不穏演出には視聴者をハラハラさせて惹きつける効果もあり、「けものフレンズ」のヒットの一因にもなっていると思います。不穏さ演出はシリアスさを持たせたい物語にうってつけのメソッドだと言えるでしょう。

もう1つのやり方は逆境自体は長く続くけど主人公が痛めつけられているという印象を与えないようにするというもので、代表例はシュタインズゲートだと思います。本作は12話でヒロインが殺されてから最終話の24話までずっとヒロインを助ける為にタイムリープを繰り返すわけですがメインキャラが痛めつけられているという印象はありません。確かにヒロインは何度も死ぬんですがサクッと殺されるだけですし、主人公は憔悴しながらもあきらめる事なく行動して少しずつ状況を改善していくので鬱パートにはならないんです。痛めつけられて悲鳴を上げるという受け身の苦しみではなくて、苦しんででも壁を乗り越えようと行動する主体的な痛みであるわけです。

こういう現代的なシリアス作品の逆境と比較すると鬱パートが何だったのかはっきり見えてきます。結局のところ鬱パートはダメな逆境描写だったわけです。せっかく視聴者がキャラを好きになったのに、逆境を作るという作劇中の都合だけで主人公を痛めつけた結果として物語トータルを視聴者が嫌いになってしまうという失敗だった。優れた作品が巧みな逆境演出を用いるようになっていった結果、安易な逆境演出である鬱パートは遂に死んだわけです。

鬱パートという古いやり方は新しい逆境演出によって見事駆逐されました。鬱パートは死んだのです。

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